走れ!ピンク・レディー〜pinklady-MagicalKiss〜

”いつでもどこでもピンク・レディー”今年はピンク・レディーの活躍と同時期に活動したアイドルもこちらに掲載していきます。

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ジャンピング・サマー・カーニバル

JUGEMテーマ:音楽


今日、九州地方は梅雨明けしました。
ここ4.5日暑かったのでそろそろかな?と思っていたので、待ってました夏本番です。
そんな暑い日にこの記事を書こうと思います。

1978年7月23日史上最大の音楽のイヴェントが行われました。
空前絶後の観客動員数を誇るピンク・レディー最大のライブ。

テレビカメラも空からはヘリコプターで彼女らの姿を捉え、興奮のステージの一部始終を記録しています。
4年7ヶ月の活動期間の中で最も興奮したステージでした。

当時のマスコミではピンク・レディーなしではテレビ番組は成り立たないとまで言われ数多くのライブがブラウン管を通して放送されましたが、中でもこの後楽園球場でのライブは後にも先にもピンク・レディーを語る上で非常に重要なライブとなりました。

オープニングはハリケーン〜ソウルトレインのテーマ。
この曲に合わせ2台のオープンカーで颯爽と登場したミーとケイ
ピンク・タイフーンの到来です。
会場中人・・人・・人
ものすごい観客の中、時代となったピンク・レディーのステージの幕はきって落とされたのでありました。
大勢のファンに精一杯アピールしながら会場をグルリ
続いて「忘れたいのに」を歌いながら(といっても多分口パクだと思います)ステージへ
ここから凄いエンターテインメントショーは始まります。
続いたラビン・ユー・イズ・キリン・ミーで大きくステップ
前後左右に大きなステップを刻みながら歌います。
この瞬間、我ながらゾクゾクするような鳥肌を覚えたものでした。
オーラというものがあるのだとするとこの時のピンク・レディーにはそれを越えた何かが彼女たちの周りを取り囲んでいるようにすら見えたのです。

次々に送り出されるパフォーマンスに観客は酔いしれるばかり
いくら時のスーパースターといえようともこの時の彼女たちのステージングには本当に凝縮されたものがありました。
リハーサル中にケイがダウンしたとも報じられましたが、そんなもの本番ですっかり吹き飛ばしています。
彼女たちの歌への想いがこの時多くの人たちの心を捉えた瞬間だったようにも思えます。
後半ディスコメドレーではサタデーナイトフィーバーのメドレーを
この時には単なる踊って歌うアイドル歌手の域を超えた素晴らしいパフォーマンスがお目見えしました。

ヒットメドレーの後、忘れたいのに でショーは終了
わずか1時間の中、時代となったピンク・レディーの大きなステージは世界の目にもとましました。
この後、世界進出を成し遂げるわけですが、二人の歌への想いは大きくなるばかり
時代をとりこにした彼女たちの必死に歌い踊る姿にはただ感動の一言に尽きると思います。

最後にこのライブの模様、是非商品化して欲しいと切に願います。
ピンク・レディーを語る上で絶対不可欠なライブのように思うから・・・
評価:
ピンク・レディー
ビクターエンタテインメント
¥ 1,500
(2006-08-23)

77年の大詰め「バイ・バイ・カーニバル」


77年のピンク・レディーはそれまでの歌謡界にひとつの大きな転機を与えた。
ブームというものがこれほどまでにアイドル歌手に存在するものなのだろうか?といわれるほどの大胆な存在感を世の中に与えたのだ。
それは戦後、日本人が一体となって作り上げてきた文化の集大成がピンク・レディーだったような気がする。

このピンク・レディー・ブームが去った後には、日本は個人の尊重へと大きく変わっていく。
個人個人の好みも多様化していくため、ピンク・レディー・ブームのような大きなブームはほとんどなくなっていったのであるから・・・
みんなが楽しめる
そんなごく当たり前の光景はピンク・レディーブームが最後だったのではないだろういか?

そのピンク・レディーもデビュー2年目最後の舞台は日本武道館での「バイ・バイ・カーニバル」でありました。

この公演の直前、ケイが入院したりとアクシデントも多かったが、初期ピンク・レディーの集大成である舞台は相変わらずの大盛況振りで幕を閉じたのであった。

このコンサートの模様はHPに記しているので、ご覧下さい。
こちらです


そして、もうひとつこの年の締めくくりとして忙しい1日を送った大晦日。
レコード大賞大衆賞を始め、NHK紅白歌合戦にも初出場。

特に紅白歌合戦については、ミーもケイもやはり夢の大舞台だったらしく感激していた様子。
元気よくヒット曲「ウォンテッド」を熱唱しました。
ただ、この感激から一転して翌年にはこの紅白が彼女たちの致命傷となってしまいます。
先のことってわからないものですね〜。


バイ・バイ・カーニバル(紙ジャケット仕様)
バイ・バイ・カーニバル(紙ジャケット仕様)
ピンク・レディー

サマー・ファイア77


ピンク・レディーが日本中の人気者になった証にコンサートの観客動員数ではものすごいものがあった。
渚のシンドバッドがその年のレコード大賞を獲得した沢田研二の「勝手にしやがれ」と熾烈な首位争いをしている頃、真夏の全国縦断コンサートが挙行された。

タイトルは「サマー・ファイア77」まさしくファイア〜!なコンサートである。
デビュー前から得意としていた歌って踊るリズムのある曲を中心にファーストコンサートで見せたものより更にレベルアップしたステージングがファンたちを魅了する。

オープニング「ブラックイズブラック(後にこれも都倉先生がピンク・レディー以来気合が入った・・といわれた少女隊もカバー)からなるロックのメドレーで幕開け」

オリジナル曲が少ない分、ピンク・レディーの大人の魅力?というよりキャラクターとしてのイメージよりもっとステージシンガーとしての魅力がぎっしり詰まったステージングであった。

若いって素晴らしい〜

と思ってしまうほどのエネルギッシュなステージは一言「パワー」を肌で感じるコンサートだったのである。
翌年後楽園球場でビッグなステージをこなすが田園コロシアムという会場ではまだピンク・レディーが身近に感じていた時期なのかもしれない。(そんなに遠い存在ではないということ。後楽園球場ともなるとステージまで遠い・・合せて存在もビッグになりすぎて遠い・・という意味)

モータウンのメドレーや今は亡きレイ・チャールズのナンバーを始めとしたロックメドレー。

そのひとつひとつに若いからこそ!出来る貴重な汗を感じるサマー・ファイア77

昨年、このライブ盤が復刻されるとかいってましたが、結局幻となってしまいました。(・・・が復刻されます。一番下を見てね)

これぞ!ピンク・レディーのステージ!!を感じる「サマー・ファイア77」
いつかきっと注目されるのではないでしょうか?

そんなこんなでピンク・レディーが日本という国のブームになり始めた頃、熱い夏を送ってくれたのがサマー・ファイア77だったのですね。


なお、HPでの記載はこちら

※復刻されます7/6追記
サマーファイヤー’77(紙ジャケット仕様)
サマーファイヤー’77(紙ジャケット仕様)
チャレンジ・コンサート


カルメン’77から更新が途絶えていましたが、次の渚のシンドバッドに進む前にこの件から。

ピンク・レディーのファーストリサイタル(リサイタルって表現が時代を感じますなあ〜)チャレンジ・コンサートです。

ピンク・レディーに人気が確定したことの裏づけにこのチャレンジ・コンサートの決定があったようです。
オンリーワンのワンマンショーなんてそう簡単に決定しないのですから・・・

そんなピンク・レディーがまだ後の幼稚路線(といわれていました)に移行する前、ピンク・レディー本来の目的である路線をこのコンサートで見ることができます。

まだオリジナルは3曲程度、そんな時期に行うとすれば当然他の人の曲を多く取り入れます。
ライブで重要な点それもそのアーティストの初めてのライブというのがポイントです。
そこで力量が試される点はどんな曲をどんな風に・・ということです。

ピンク・レディーがこのファースト・コンサートで取り入れた楽曲は他の先輩アイドルの曲でもなく歌謡曲でもなくあくまでも海外アーチストの曲でした。
それもポップスよりも黒っぽい音を主としてこのコンサートは行われたのです。
日本では徐々にピンク・レディーがブームになろうとしていた時期ですが、コンサートの内容とテレビでの雰囲気に”食い違い”が生じてくることはいたしかたなかったことだと言えます。
何故なら当時の日本においてあのコンサートの内容はメジャーにはなれないからです。黒っぽい音に対しての反応を求めることは当時の日本では不可能なことだったのですから・・・
だから、一般大衆に黒っぽい音を歌謡曲に織り交ぜて茶の間に送る
その作戦は大成功だったと思います。

ピンク・レディーは表向きには途中から路線変更して人気が落ちたような印象がありますが、根本的にはデビューから解散までひつの路線をしっかり歩んでいったと思います。
そこにはみんなの信念が詰まっていたように感じます。

このファースト・コンサートでそのことが改めて分るのです。
HPではここに掲載しています。

チャレンジ・コンサート(紙ジャケット仕様)
チャレンジ・コンサート(紙ジャケット仕様)
ピンク・レディー


次回は「渚のシンドバッド」です。では^^