走れ!ピンク・レディー〜pinklady-MagicalKiss〜

”いつでもどこでもピンク・レディー”今年はピンク・レディーの活躍と同時期に活動したアイドルもこちらに掲載していきます。

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透明人間
1978年9月9日発売

作詩:阿久 悠
作曲・編曲:都倉俊一

B面
スーパーモンキー孫悟空
作詩:阿久 悠
作曲:都倉俊一
編曲:田辺信一


100位以内22週
10位以内12週
3位以内8週
最高位1位4週(売上115万枚)

今日は秋風を感じる日です
よく晴れていい天気

今から31年前の今頃、この曲は発売されました。
極めたと一言いえる楽曲の発表に当時のファンたちの間では賛否両論を繰り広げられていたのではないでしょうか?

あれから30年余りたってみると名曲だなと感じるはず

楽しくて派手で聴きやすいそして何より自己主張の強い個性

ある種みんなが憧れている世界観
だって〜透明人間なんて想像するだけで楽しいじゃん

それを現実に音として映像として目の前に現れた瞬間
一瞬引いてしまうような感性とその反動からくる興味
恐いけど覗いてみたい・・
そんな世界観を楽しく描いた秀作だと思います。

前作「モンスター」から3ヶ月同じような路線といえばそうだけどやはりこの曲の誕生はピンク・レディーにとってある種転機となったのです。
そういえば香坂みゆきさんのセカンドアルバムに「透明人間」という曲があるんだけどそちらは単純にアイドルらしい曲でした。
まったくの別物

この曲で思うことは歌詞もそうだけど都倉さんの楽曲の素晴らしさが特に目立ちます。
最初シリアスにスタートしたかと思うと一転メジャーコードガンガンに飛ばしていきます。

最後の「消えます」といって忍者のようにドロンと消える振付も味わいがあります。
歌って踊るスタイルでヒットを出そうと思えば明確なテーマが必要
そのテーマがハッキリ伝わってくるのがピンク・レディーの楽曲なのです。

その明確なテーマの代表格にこの「透明人間」は存在するのだと思います。
JUGEMテーマ:音楽
 
評価:
ピンク・レディー
ビクターエンタテインメント
¥ 2,309
(2009-09-16)
コメント:待望のシングル完全コレクション後期のB面には名曲多数なのでホントに嬉しい今の季節「カトレアのコサージ」や「愛しのニューオリンズ」などがオススメ

モンスター

作詩:阿久悠

作曲:都倉俊一

編曲:都倉俊一

B面 キャッチ・リップ

作詩:阿久悠

作曲:都倉俊一

編曲:田辺信一

最高1位(8週)

(100位以内20週 10位以内11週 3位以内10週)


売り上げ160万枚
この年の夏、快進撃を続けるピンク・レディーのニューシングルのタイトルは「モンスター」
モンスターという言葉が定着したのもそもそもこの曲のヒット以降によるものでした。
ということはピンク・レディーの大ヒットした曲の数々は日本の文化発展に大きく貢献したことになります。

UFOという曲で一種独特なピンク・レディーの歌の確立はされたわけですが、この曲の発売で「あ、ピンク・レディーはやっぱり子供たちをターゲットにしてるんだ」と思われた方が多かったのではないでしょうか?
UFOの場合も最初に聴いたタイトルから何か今までの歌謡曲にはない印象を受けましたが、歌詞の中のトリックがとても素晴らしく、UFOというタイトル以前にセクシーな歌詞がピンク・レディーという色気を感じていたと思います。
ただ、このモンスターになるとテーマ事態が怪物ということで非日常を描いていることが子供向けと捉えられたのかもしれません。
売り上げは相変わらずでしたが、この曲からチャート100位以内に登場する期間が大幅に短縮されています。

爆発的には売れるけど、落ちるのも早いといった状態が始まったのです。
でも、今考えてみると、100位以内に20週もランクされているということは、約4ヶ月間ランクインしていたのですから、やはり驚異的です。
それまでがあまりにも凄すぎたのですからね。一年間のほとんどの期間にピンク・レディーの曲がチャートインしていたことを思えば、モンスターで一挙に短縮されたと言ってもやっぱり凄い記録だと思います。

さて、このモンスター、ピンク・レディーのブームを彩る意味でとても楽しく面白い曲に仕上がっています。
シングル曲でこれだけミュージカル仕立てのストーリーを演じるなんて素晴らしい。
何故って頭のワッハッハ・・から始まってモンスターが登場するイメージからサビで始まるメロディライン
のっけからガンガン責めてくる曲構成。
徐々にではなくいきなりモンスター!この私のかわいいひと〜という始まりで聞いている人たち見ている人たちに相当大の印象を与えていたと思います。

ただ、みんながおっしゃるように僕も当時、モンスターを聴きながら、濃い味が続くなあと思っていました。
ウォンテッド以降軽めの曲は少なくなり、それまでのS.O.Sや渚のシンドバッドのようなかる〜く聴けてしまうライトな曲はなく、常にインパクト優先で味の濃い焼きそばUFOが続くような印象を持っていました。
ちょっと、ここいらで野菜サラダでも食べたいなと思っても出てくる料理は味の濃い焼きそばUFOだったわけです。
結局、それでみんな喉がガラガラになりあっさりしたものを求めていたのかも知れませんね。
翌年、ライトなジパングを発売しましたが、その時には他のもので潤そうという気持ちがみんなのものに出てきてたのかも知れません。

やっぱり濃い味は続けて食べれませんから・・・

そんなこんなでピンク・レディーの濃い夏は過ぎていくのですが、この頃、後楽園球場での7万人コンサートを開催。
あのキャンディーズに対しての試みだったそうですが、この試みでピンク・レディーは世界へと羽ばたいていくのです。

※ps.この記事を書いている僕も実は相当濃い〜です(笑)
濃い〜の大好き!
だからピンクも大好きなのです(笑)





ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム
ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム
サウスポー


1978年3月25日ピンク・レディーの新曲が発売された。
サウスポー
作詩:阿久 悠 作曲編曲:都倉俊一
B面「アクセサリー」作詞作曲編曲は同じ
100位以内29週 10位以内13週 3位以内9週 1位9週
売り上げ180万枚



今まで左ききをテーマにした曲といえば、麻丘めぐみの「私の彼は左きき」くらいなもので、それほど左ききがかっこいいとかヒーロー的には認知されていなかった。
<COLEZO!麻丘めぐみ" />

昔からほとんどの人間が右利きなので左利きはどうしても矯正されられる運命にあったのだ。
利き手が左ということだけでコンプレックスを感じていた人も多くいたかもしれない。
そんな左利きをいわば、時代を象徴する最先端のピンク・レディーがかっこよく演じたことでそれまで何かと気にしていた左利き諸君たちは時代の最先端に立つことになる。

考えてみれば、世の中で少数派と言われる左利きがヒーローとなり、逆にサウスポーか?といいイメージに変わったことはやはり素晴らしいことだと想うのであります。
文化というひとつの進化の中にピンク・レディーが果たした功績は大きいと思います。

さて、この曲は78年年間売り上げでUFOに続き第2位を獲得します。
年末の賞レースでも数多くの賞を受賞することになり、歌謡大賞ではグランプリを獲得。
ピンク・レディーという時代がフル稼働していた頃です。

3月25日という発売はもっと早くてもよかったはずですが、サウスポーは当初まったく違った曲だったそうで、発売直前に書き換えられたそうなのです。
その時、背番号1のすごいやつが登場、時代を築いた英雄たちの対決となったわけです。
背番号1のすごいやつとは当時読売ジャイアンツの王貞治選手(現:ソフトバンクホークスの監督)です。(みんなが知ってることですが 笑)
迎え撃つピッチャーにピンクのサウスポーことピンク・レディーの登板です。
こんな非現実なことがもし、可能だったら・・・どんなに楽しいでしょうか?(笑)
そんな世界がピンク・レディーのもっとも楽しい世界でした。
王貞治壮絶なる闘い
王貞治壮絶なる闘い
江尻 良文

さて、話は戻りますが、6枚目のシングル「UFO」が超ロングセラーとなり約3ヶ月と3週間後このサウスポーが発売されましたが、この大ブームのとき、5作目ウォンテッドから丁度、3ヵ月後の発売となったUFOは1週を除いてず〜っと1位だったのですから・・・多分この発売が丁度、3ヵ月後だったらUFOから連続してサウスポーが1位を獲得したはずです。
でも、この3週間伸びたことで当時解散直前だったキャンディーズの「微笑み返し」がその合間をぬって1位に輝きました。
キャンディーズにしてみればせめて最後1位をと願っていたのでしょうから、これはこれでよかったと思いました。

振り付けも月間誌の公募により作られ、み〜んながピンク・レディーを楽しんでいた頃でした。
だからかも知れませんが、このサウスポーは他の振り付けより簡単に思えてしまうのかも知れませんね。
歌のアニメーション化という点でいえば、歌、曲、振りと3つが重なって見れる面白いものが出来たと思いました。
この曲がピークで徐々にピンク・レディーという存在がさらに巨大化していくわけですが、この曲がなかったら・・・左利き諸君に勇気を与えることもなかったかも知れません。
左利きってかっこいい〜そんな単純なことを子供の頃に思い描いていましたね〜

最後に・・・レコード売り上げではダントツ9週も1位を獲得しているのに、TBSのザ・ベストテンでは2週くらいしか1位をとっていません。
なんでだ〜と当時小学生の僕は不思議に思っていました。

同じ頃3月5日には昨年暮れに開かれた武道館でのライブがレコード化され発売されています。

バイ・バイ・カーニバル(紙ジャケット仕様)
バイ・バイ・カーニバル(紙ジャケット仕様)
ピンク・レディー


なお、HPではこちらに記しています。



ピンク・レディー - サウスポー Single


ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム
ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム
阿久悠,都倉俊一,ピンク・レディー
UFO


シングル第6弾「UFO」発売。
時に1977年12月5日のことである。

作詩:阿久 悠 作曲編曲:都倉俊一
B面「レディーX」作詩作曲:同
100位以内32週 10位以内17週 3位以内12週 1位10週
売り上げ195万枚

翌年の日本レコード大賞受賞曲はこの時、発売された。
歌という文化が異次元の世界へと旅立った瞬間だった・・・ような感触のする曲である。

この曲がピンク・レディーというアイドルを象徴する曲となったのは多分今までまったく無かったパターンの曲だったから・・ではないだろうか?
何も曲の構成とかいう小難しいことではなくただ単純にUFOという言葉が歌になるということがそういったイメージを固定させたように思う。

それまでのNo.1ヒットももちろん面白い題材を素にピンク・レディー独自の世界を切り広げていったようには思うが、あくまでも発想が超越してしまったことがこのような曲のアイディアとなったように感じるのだ。

過去No.1を連続でリリース出来る歌手など存在していなかった(天地真理が連続3作はありましたが)そこで立て続けにNo.1どころかミリオンを記録したということで発想も超越してしまったように思う。

嬉しいことにこの曲はピンク・レディーでもっとも高いセールスを記録した。
しかし、これが逆にエンターテインメントの極みとなりこの後のリリースには今まで以上のアイディアと努力が必要となっていったのだ。

ミーとケイの苦悩もこの頃からUFO同様地球レベルのものではなくなっていった。

UFOについてのコラムはこの他にHPで掲載しています。
ピンク・レディーが時代だった頃はこちら

MyBestSelectionはこちら

ピンク・レディーの風はこちらです。

同じ日初のベストアルバム「ピンク・レディー・ベスト・ヒット・アルバム」もリリースされこれもシングル同様に空前の大ヒットとなりました。
この曲にはシングルとは別テイクのUFO/レディーXが収録されていることも話題になりましたね。


iTunesで配信中

ピンク・レディー - UFO - Single


ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム
ピンク・レディー ベスト・ヒット・アルバム
ウォンテッド(指名手配)


1977年9月5日発売
作詩:阿久悠
作曲:都倉俊一
編曲:都倉俊一
100位以内33週、10位以内20週、3位以内13週、1位13週
売り上げ165万枚
B面:逃げろお嬢さん


全国縦断コンサート「サマー・ファイア77」ですっかり日本列島に根をはったピンク・レディー。「渚のシンドバッド」はミリオンを記録する大ヒットとなり、名実共にNo.1アイドルの座についたピンク・レディー。
続く秋の勝負曲「ウォンテッド(指名手配)」はデビュー以来これまた違ったパターンの曲でメジャーコードの「S.O.S」マイナーの「カルメン’77」メジャーの「渚のシンドバッド」に続きマイナーの「ウォンテッド」という1作品ごとに違うパターンで変幻自在に変化球を送り出して来ましたが、このウォンテッドはブラック・テイスト満載で、この頃までピンク・レディーのやってる音楽がなんなのか?分るようで分らない現象が続きます。

要するに新しいパターンというのが当時の日本には斬新に映ったのでしょう。

今聴くと、何故このような音楽が当時の日本に受け入れられたのでしょう?

僕は当時はあんまり好きではなかったように記憶してます。
渚のシンドバッドの方が明るくて分りやすかったからかもしれませんが・・

時代背景からしてマッチしていたとは思えないのですが、やはり大きな要因としてビジュアル先行ということが大きいように思います。
曲としてこのようなブラックテイストの多いソウルフルな楽曲がそれに好きな者であれば好きでしょうが、歌謡曲ファンには少々苦手な枠かも知れません。
しかし、セールス・ポイントとなったウォンテッ!というシャウトとコケティッシュな振り付け、あるとき・・・という昔の時代劇で流行ったセリフ・・当時のディスコサウンドではNo.1を記録した「ダンシング・クイーン」を歌ったABBAのジャケからのパクリ衣装・・・と色んな世代そして色んなジャンルの音楽ファンの好きになる要素の集合体が「ウォンテッド(指名手配)」なのだと思います。

でも、そんな色んな要素を集合させても、それを表現できる者がいなければその集合体も無と同じこと。
そこが、ピンク・レディーというデュオの凄いところなのだと思います。
それらの集合体を具体的にビジュアル化出来るアーティストがピンク・レディーだったのだなあと思います。

小難しい音楽を楽しく分りやすく歌謡曲の中で表現したウォンテッドは13週連続第1位という記録を樹立。

歌って踊るというスタイルは色んな夢を現実に変えていった最初でもありました。


これは以前読んだ阿久悠氏の本に書いてあったのですが、本来タイトルはWANTEDでいきたかったそうです。でも、当時日本においてアルファベットが歌のタイトルになるのは全くといっていいほど無かったので、仕方なくカタカナタイトルにして日本語訳までつけらされたそうです。
あの岩崎宏美さんのデビュー曲二重奏(デュエット)と似たようなパターンでのタイトル付けだったそうですよ。

なお、HPではこちらに記載

iTunesで配信中
ピンク・レディー - ウォンテッド(指名手配) - Single
渚のシンドバッド


作詩:阿久悠 作曲編曲:都倉俊一
1977年6月10日発売
B面「パパイヤ軍団」作詩作曲編曲は同じ

100位以内38週、10位以内15週、3位以内12週、1位8週
売り上げ145万枚


ピンク・レディーが本格的に大ブレイクをしたのがやはり真夏の新曲「渚のシンドバッド」であった。
それまで、キャンディーズの二番煎じの印象があったピンク・レディーが”ダントツ”だと知らしめたのがこの曲であった。
皮肉にもこの曲が日本列島を設計しているときキャンディーズは解散宣言。
辞めることでピンク・レディー人気に対抗してきたのだ・・と思っていた。
それは確実に時代の移り変わりを象徴した出来事だったのだと思う。
ピンク・レディーが解散したときとキャンディーズが解散したときと年齢的には22,3歳。アイドルには限界の年齢だったから・・・ということも言えると思う。

さて、この渚のシンドバッドからピンク・レディーが他を圧倒する人気に上った要因として言えることは、ポップで分りやすい曲だったということと、コスチュームの変化。
見た目の変化もその要因として上げられる。
デビュー当時はミニで歌って踊るというイメージを定着させるための作戦であったが、ここにきて微妙にキャラクター化していったのである。

子供たちがより近づきやすくなった要因は・・・
頭の羽飾り。
曲ごとの衣装が変わっていったのもこの頃からである。

この曲までの3曲にもそれなりにイメージしたものはあったであろうが、この曲では普通のミニの衣装にただ羽飾りをつけただけであったが、その微妙な変化は確実に時代を変えていく前兆であった気がする。
77年の海水浴場では2分半のこの曲が何度流れたであろう。
ペッパー警部、S.O.S、カルメン’77からするとこの曲で求めたものは大衆的にもっとも聴き易い曲構成であったということ。
1回聴いただけでスンナリ覚えれるテンポのよさ。
そしてタイムが短いことからどのテレビでもノーカットで歌えたという利点。(アメリカで出されたKiss in the darkがやはりこの作戦でした。3分以内の曲はラジオでフルに流されたのですから

色んな要素が絡み合ってピンク・レディーは国民全体のアイドルと化していったのである。

セクシー・・・の部分とエンディングの振り付けのもうひとつのパターン。
DVD化して欲しいものです。ハイ・・・


HPでの記載はこちら



iTunesで配信中


ピンク・レディー - 渚のシンドバッド - Single


カルメン’77


ピンク・レディーの人気が確定してきたのはこの春の新曲「カルメン’77」から。

1977年3月10日発売。

作詞:阿久悠 作曲編曲:都倉俊一

B面「パイプの怪人」も同じくこのコンビの作品。

100位以内34週、10位以内13週、3位以内11週、1位5週

売り上げ110万枚



前作S.O.Sよりちょっと変わった趣向で現代のカルメンといった雰囲気はちょっと大人への入り口を表しているようだった。

カルメン77の振り付けは今までの曲より激しく鶏闘の様子をポイントにしたとか?
この頃になるとピンク・レディーの振り付けはある種ひとつのブームになりかけていた。
ライバルといわれたキャンディーズもこの頃になると今までほとんど衣装として来た事のないミニを起用し、斬新な曲へと変わっていった。
それだけ時代はピンク・レディーを中心に歌謡界が回り始めたことを表す。
ピンク・レディーの出現がなかったら・・・日本の歌謡界の発展はなかったのでは?と思われるほど、ピンク・レディーが時代となっていったことがこの曲からわかるのである。

わたしの名前はカルメンでっす!

ああもちろんあだ名に決まってマッス!

この歌詞からもわかるようにピンク・レディーが自分達のことを歌っているところが自分たちの存在を強調している・・・すなわち自分たちが時代をリードすることを意味しているのだと思う。

作詞家阿久悠氏はペッパー警部、S.O.Sの連続ヒットによりピンク・レディーで時代を先行することを感じていたのだろうか?
3作目にしてこのようなカルメンを現代のパロディに置き換えて書いているのだから・・・
可愛いアイドルとしてだけのグループならば、もっと違った曲を書いたはずである。
しかし、そうではなくピンク・レディーというネーミングもそうであるが、年をとらない曲。
それがこのカルメンを書かせた理由のように思う。

昨年までの復活公演でこのカルメンは今でも充分魅力のある曲であることが分った。
18,19の娘が「トリコにしてみます」とはよっぽどの自身がなければ歌えない。
ピンク・レディーという存在は誰をもトリコにしていく要素があったのだと今改めて思う次第であります。
なお今回発売された「レア・トラックス」にはこのカルメン’77のリミックスを多数収録。

色褪せないピンク・レディーの曲の中でもどの色にも染まるこの曲は一連のヒット曲の中でも一番”純”な曲なのかも知れませんね。


レア・トラックス

レア・トラックス







なおHPでの記事はこちら。



iTunesで配信中


ピンク・レディー - カルメン '77 - Single

S.O.S


ピンク・レディーの第2弾シングル

1976年11月25日発売
作詩:阿久悠 作曲編曲:都倉俊一
B面 ピンクの林檎
作詩:阿久悠 作曲編曲:都倉俊一
100位以内37週 10位以内10週 3位以内7週)売り上げ120万枚


ピンク・レディーがいわゆるキワモノから脱した1曲。といえる。
デビュー曲「ペッパー警部」よりちょっと普通路線で、当初イメージしていたキャンディーズに近いものがあった。
楽しい明るいライトポップスで、当時の歌謡曲の要素をた〜くさんいれた上質なアイドルポップスに仕上がった。
これなら一般大衆にもすんなり受けやすい。
そんな印象を持つ。
見事1位を獲得。頷ける結果となった。

以前テレビ番組で当時の事をあの飯田ディレクターがこんなことを言っていた。
「あの頃は歌が空を飛んでいる時代だった、ウォークマンなどがあった時ではなかったので。
街を歩いていても色んなところから聴こえてくる。その時”あ〜当たったなあ〜”と感じました」と。
確かにピンク・レディーが流行っている頃って歌がみんなのものだった時代でしたね。
でも、このS.O.Sイントロが山本リンダの「狙い打ち」とソックリ。
一番最初の出だしの音なんか。
後々気付きました。






でも、このS.O.Sが発売になる頃にはあれほど期待されなかったピンク・レディーは新人賞を総ナメ?年が明けた頃には国民のアイドルとなっていましたね。

ピンク・レディーの爆走はこの曲のモールス信号に表されているとおり、まさしくピンク・ターフーン到来のS.O.Sだったのかも?知れません。


ピンク・レディー・プラチナ・ボックス (初回限定生産) (4CD+2DVD)

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HPの記事はこちら



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ピンク・レディー - S・O・S - Single

ペッパー警部
JUGEMテーマ:音楽


ピンク・レディーのデビュー曲である。

作詞:阿久悠  作曲編曲:都倉俊一

歌謡界のゴールデンコンビが放つ新しい路線の出発であった。

B面乾杯お嬢さんも同様。このコンビの曲である。

このデビュー曲が大ヒットしたことで、ピンク・レディーの爆走は始まる。
「走れ!ピンク・レディー」開幕・・というわけである。

そもそも、B面となった「乾杯お嬢さん」も比較的良い曲で、こちらがA面でも?といったことから、デビュー直前、モメにもめたという話は有名である。

しかし、なにはともあれ、ペッパー警部のあの斬新な振り付けや衣装が目を引き、ヒットとなったわけであるから、結果としたらこのでよかったのである。

ヒット・チャートでは100位以内42週10位以内14週とロングセラーのヒットとなった。

売り上げ105万枚。
デビュー曲としたら、驚異的な数字である。
最初がこんな当たり具合だったので、これより売り上げが下がれば当然落ち目と思われたことが、そもそも可哀そうなところである。

振り付けの土居甫氏によれば、この曲のあの股をパカパカ開けるところ、レコード会社からクレームがつき変更の要請があったそうであるが、断固として変えなかったという。

でも、あの斬新なアイディアがピンク・レディーを大きくしていったのだから、なんでも信念を持って作ることは大切なのだ。
オーディション番組「スター誕生」ではそれほど期待をされなかったこの二人組はこういった信念を持った男達によって”夢”の実現へと導かれていった。

そして、それを演ずる彼女たちの”夢”も同じように走りだした。

HP「OH!STEPピンク・レディーの楽しい道」コンテンツ「ピンク・レディーが時代だった頃」のコラムはこちら

読み比べてみて

ピンク・レディーが所属した元T&Cの会長さんのBlog

ピンク・レディーの真実が覗けます。




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ピンク・レディー - ペッパー警部 - Single